大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 平成9年(行ツ)153号 判決

上告人 大塚博夫

被上告人 名古屋国税局長

代理人 齊藤雄一

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人山田敏、同渡辺慎也の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき若しくは原審の認定に沿わない事実に基づき原判決を論難するものであって、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 遠藤光男 小野幹雄 井嶋一友 藤井正雄 大出峻郎)

(平成九年(行ツ)第一五三号 上告人 大塚博夫)

上告代理人山田敏、同渡辺慎也の上告理由

第一原判決は、〈1〉民法九四条二項の類推適用範囲の解釈(「第三者」の解釈)、〈2〉同条項の「善意」の解釈、〈3〉公権力に対して同条項を類推適用する場合の要件の解釈を誤った違法があり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

第二〈1〉国税滞納処分としての差押に対する民法九四条二項の類推適用(「第三者」の解釈)

一 公権力と民法九四条二項の類推適用

1 原判決は本件国税滞納処分としての差押について民法九四条二項を類推適用し、被上告人も同条項の「第三者」にあたるとする。

2 しかし 民法九四条二項は、外形行為への信頼を保護することによって私的取引の安全を図るとともに、当事者において私的自治の原則を貫く趣旨の規定であるから、一般的に公権力は同条項の「第三者」にはあたらず、同条項の適用はない。

確かに、同条項の類推適用は、我が国の登記制度に公信力がないため、私的取引の安全という要請からその適用範囲を拡大している傾向にある。

しかし、〈1〉第三者が、私法上の有償取引関係について、その外形を信頼して新たな取引関係に入ったこと、〈2〉虚偽表示者の外形作出についての帰責性をその適用要件とするものであり、その適用を私法上の取引以外に拡大適用する特段の理由はない。

典型的な権力支配作用の性質を有する国の課税権に基づく租税債権の徴収手続について、同条項の類推適用を認めることは、国の権力支配作用を個人の犠牲において達成することになるのであり、対等な個人間の私的取引の安全という局面とはまったく場面を異にする。

したがって、被上告人による国税滞納処分に基づく差押も公権力による権力支配採用であり、公権力である被上告人は民法九四条二項の「第三者」にあたらず、同条項の類推適用はない。

3 また、仮に、同条項が公権力に適用がある場合を認めるとしても、一律に公権力に対し適用があるとすべきではなく、〈1〉公権力作用の種類や性質、〈2〉別の私人が利害関係を有するに至ったかなどに応じて、個別の公権力作用につき具体的な検討が必要である。

これを、本件の租税債権にもとづく国税滞納処分としての差押について検討すると、〈1〉租税債権の徴収は典型的な権力支配作用であり、同じ金銭債権とはいえ、一般私法上の債権とは明らかに異なること(国が私人と同等の立場で貸し付けた金員の返還請求権等であれば、一般私法上の債権と異ならないと言える)、〈2〉本件についてはいまだ差押にとどまり、公売処分に付されていないため、別の私人が利害関係を有するに至っていないことなどからすると、右差押をした被上告人は民法九四条二項の「第三者」にあたらず、同条項の類推適用は認められない。

4 なお、最三判昭六二・一・二〇(訟務月報三三・九・二二三四)は、徴税権の行使としての差押にも民法九四条二項が類推適用されるとするが、この事案は既に公売処分に付されて、競落人への所有権移転登記も終了していたものであり、未だ差押がされただけで、国以外の第三者が関係するに至っていない本件事案とは場面を異にする。

二 一般差押債権者と民法九四条二項の類推適用

1 前記のとおり、原判決は本件国税滞納処分としての差押について民法九四条二項を類推適用し、被上告人も同条項の「第三者」にあたるとし、一般差押債権者が九四条二項の「第三者」にあたることを当然の前提としている。

2 一般差押債権者といえども、差押により物ないし財産に対して現実の支配を取得するに至ることからすると、一般差押債権者が民法一七七条の「第三者」に該当することには異論はない。

しかし、対抗関係を処理する法条である民法一七七条の場合と外観保護の法条とされる民法九四条二項の場合とで「第三者」の意義を同様に論じることはできない。

外観保護の法条とされる民法一九二条においては、「第三者」は、「取引」によって利害関係を有するに至った者に限定され、一般差押債権者の善意取得は認められないとされている。これは、債務者に実体として帰属する財産こそが債権者の掴取の対象であるからである。

これは民法九四条二項の場合についても同様であり、一般差押債権者の掴取の対象は債務者に真に帰属する財産であって、それ以外の財産を差し押さえたところで差押債権者がその財産について利害関係を有するに至ったとは認められない。

3 確かに民法一九二条と同法九四条二項を比較すると、九四条二項の場合のほうが真の権利者の帰責性が大きいといえるが、帰責の強弱で、掴取の対象を真の財産とする右原則を覆すことはできない。

また、民法九四条二項の適用の場合には、虚偽表示が有効なものとなるのに対し、民法一九二条の適用の場合には、無権利者からの取得が認められ、両者は異なるとも考えられる。

しかし、虚偽表示が有効となるのはあくまで「取引の安全」のためであり、一般差押債権者は、債権についての転付命令を得たとき以外は、虚偽表示が無効とされても差押が空振りに終わるだけでその他に固有の損失を被るわけではなく、しかも、差押が空振りに終わることは、第三者異議の訴えの存在にみられるように、債権者が覚悟しておくべき事柄である。

したがって、虚偽表示を有効としなければならないような取引の安全またはそれに準ずる事情が存するとは考えられず、一般差押債権者は民法九四条二項の「第三者」にはあたらない。

4 以上より、本件で一般差押債権者と同様に取り扱われる被上告人は、民法九四条二項の「第三者」にあたらず、同条項の類推適用は認められない。

第三〈2〉民法九四条二項の「善意」について

一 原判決は、民法九四条二項の「善意」とは、虚偽表示であることを知らないことを意味するところ、虚偽表示である可能性や疑いが一応ないわけではないと判断しているに過ぎない場合には、知っているとはいえないから、このような認識の状態は同項の「善意」に当たると解するのが相当であるとする。

また、当事者が虚偽表示であると主張していることを認識しているだけで善意でないとされるとすれば、著しく第三者の保護に欠けるというべきであり、虚偽表示であるとの疑いを抱く程度の認識又は虚偽表示の当事者が虚偽表示であると主張していることの認識があれば善意とはいえないとの見解は採用することができないとする。

二1 民法九四条二項が、同条一項で本来無効とされる意思表示について、この無効を善意の第三者に対抗できないとした趣旨は、表示行為の外形を信頼した第三者の利益を保護し、もって取引の安全を図ることにある。

確かに、虚偽の外形を作出した者には、その外形作出の責任が認められる。

しかし、民法九四条二項の類推適用により、真の権利者がその権利を失うことになるという重大な効果に鑑みると、虚偽の外形を作出した者に責任があるとはいえ、この重大な効果と取引安全の両者を調整して、同条項の「善意」も決せられるべきである。

したがって、虚偽表示(虚偽の外形)であるとの疑いを抱く程度の認識があれば、「善意」とはいえない(すなわち悪意)といえる。

なぜなら、右程度の認識を備えれば、新たに取引関係に入ろうとする者は十分事前の対処が可能であり、通常は新たな取引関係に入ることを躊躇するはずであるからである。

2 この点、東京地裁平成四年四月一四日判決(判時一四二五・六三)は、(民法九四条二項の)「類推をするについて仮装の外観を作出した者に対抗することのできない悪意とは、そのような事実主張があると認識すれば足りるものであって、その主張が真実そうであると信じることまで必要であるとは解されない」と判示する。

右「事実主張」とは、「原告」が「本件物件の登記名義の移転が仮装のものであると主張している事実」のことであり、判旨からすれば、主張された事実の真実性は関係なく、その裏付けがなくとも、右事実の主張があり、それを認識すれば悪意と言える。

3 仮に、右2のみの認識のみでは足りないとしても、右認識は、虚偽表示(虚偽の外形)であるとの疑いを抱く程度の認識に至る大きな要素となる。

4 以上より、虚偽表示の当事者が虚偽表示(虚偽の外形)であると主張していることの認識又は虚偽表示(虚偽の外形)であるとの疑いを抱く程度の認識があれば、悪意と言える。

三 本件で、春日部税務署の担当職員は、〈1〉(上告人本人ではないがそれに準ずると言える)妻敬子及び井関税理士から、本件所有権移転登記が仮装のものであることの説明を受けていること、〈2〉通常売主は売買が終われば目的物を明渡し、一定期間そこに住んでいるにしても間もなく明け渡すことが普通であるにもかかわらず、上告人らが本件建物に居住しつづけていること、〈3〉当事者から登記が仮装のものである旨の申告がなされた場合のうちで実は仮装でなく真実の取引の裏付けがあるケースは殆どあり得ないこと、〈4〉名古屋市所在の会社が埼玉県所在の単なる住宅を取得することはそれ自体通常の売買としては不自然であること等からすると、春日部税務署の担当職員(ひいては春日部税務署長)は、虚偽表示の当事者が虚偽表示(虚偽の外形)であると主張していることを認識していたことは当然として、虚偽表示(虚偽の外形)であるとの疑いを抱く程度の認識があったことは明らかであり、本件所有権移転登記が仮装の登記によるものであることについて「善意」であったとはいえない。

四 なお、右〈1〉ないし〈4〉等を認識していたことからすれば、原判決判示のように「善意」を「虚偽表示である可能性や疑いが一応ないわけではないと判断しているに過ぎない場合」としても、明らかにこれをこえるものであり、右担当職員は悪意といえる。

原判決は、敬子及び井関税理士の説明は、上告人に対する譲渡益課税のための調査の過程において、本件土地建物の譲渡がされたとの外形に対する反論ないし反証としてなされた対応であり、かつ、右担当職員の資料提供の求めにもかかわらず、その後資料の提供その他の対応が何らなされたかったのであるから、本件売買契約が仮装であるとの説明には大いに疑念を容れる余地があったとする。

しかし、資料の提出など求められておらず、また、上告人から税理士に説明を頼む以上の積極的な行動を取る理由もないことから、特に担当職員が〈1〉ないし〈4〉の事実を認識していることに鑑みると、原判決が本件売買契約が仮装であるとの説明には大いに疑念を容れる余地があるとするのは早計である。

五 被上告人の悪意

なお、春日部税務署長が本件所有権移転登記が仮装の登記であることについて悪意であれば、名古屋国税局長である被上告人も当然に悪意である。

本件訴訟は行政訴訟の形態をとったために、被上告人を被告として提起されたに過ぎず、仮装の所有権移転登記の末消登記承諾請求などの民事訴訟の形態をとれば国が被告となるものである。したがって、春日部税務署長が悪意であれば国が悪意になるものであり、その機関である名古屋国税局長も悪意というべきである。

また、少なくとも類似の官署相互間においては、認識を共通にしていると国民が期待することは合理的であり、この範囲においては国民の期待は保護されるべきである。本件の場合、春日部税務署も名古屋国税局も同じ国税庁管下の機関であり、国民が右のような期待をもってしかるべき類似の官署であるといえる(前記東京地裁平成四年四月一四日判決参照)。

第四〈3〉公権力に対する民法九四条二項類推適用の要件

一 被上告人の重過失

1 仮に、被上告人の右程度の認識では、本件所有権移転登記が仮装の登記であることについて悪意であると言えないとしても、被上告人には、本件所有権移転登記が仮装の登記であることを知らなかったことにつき重大な過失がある。

2 無重過失の要否

(一) 民法九四条二項の趣旨は、前記のとおり、表示行為の外形を信頼した第三者の利益を保護し、もって取引の安全を図ることにある。

右からすると、第三者がわずかな注意を払えば虚偽表示であることを知ることができたのに、そのわずかな注意を払わなかったために虚偽表示であることに気づかなかった場合には、悪意と同視でき、このような第三者を保護する必要はない。

したがって、第三者に重過失ある場合にも、虚偽表示者は、虚偽表示の無効を対抗できるものと言える。

(二) 原判決は、同項においては、明文上「善意」が要求されているのみで、重過失あるいは過失のないことまで要求されていないし、虚偽表示の場合は、自分で外形を作った者が外形どおりの責任を負うべき場合であることを考慮すると、重過失あるいは過失のないことまでは要求されないものと解すべきであるとする。

(三) しかし、明文上「善意」が要求されているのみであっても、重過失のないことまで要求している場合もある(民法四六六条二項但書に関する最判昭四八・七・一九判時七一五・四七参照)。

また、重大な過失は悪意と同様に取り扱うべきものであり、九四条二項の重大な効果に鑑みると、例え自分で虚偽の外形を作った者であっても、重過失ある第三者まで無効を対抗できないとするのは妥当ではない。

3 公権力と無重過失の要否

そもそも、公権力に対して、外形行為への信頼を保護することによって私的取引の安全を図る民法九四条二項の類推適用自体が問題となるのは前記のとおりである。(第二、一)。

仮に、公権力に対し同条項の類推適用があるとしても、「虚偽表示の場合は自分で外形を作った者が外形どおりの責任を負うべき場合であるから、例え(重)過失があってもこの外観を信頼した第三者の利益を保護すべきである」との論理は、私人の取引行為には妥当しえたとしても、公権力作用である滞納処分についても全く同様に妥当するとはいえない。

公権力の主体の行為には信義の原則の遵守が一般私人よりも強く要請される。また、公権力と私人間では、調査能力一つをとっても大きな違いがあることは明らかであり、仮に、一般私人に民法九四条二項を類推適用する場合に、重過失のないことまで要求されないとしても、公権力に対して、これを適用する場合には、悪意と同視できる無重過失を必要としたほうが衡平の理念にかなう。

本件においても、税務署の調査能力が優れていることは公知の事実であり、また、組織としても全国的なものであるから、他の地区の税務署とも意見交換をすることは十分可能である。

したがって、公権力に対し民法九四条二項を類推適用する場合には、虚偽表示(虚偽の外形)であることを知らなかったことにつき重過失のないことまで必要である。

4(一) 本件の春日部税務署長の認識及び行為

前記第三、三、〈1〉ないし〈4〉記載の事実に加え、〈5〉敬子から虚偽表示である旨の申告を受けながら、担当職員は、特に資料等の提出あるいは来署の依頼等をすることなく帰ったこと、〈6〉担当職員は、虚偽表示である旨聴取しながら、上告人からの資料提出を待つだけで、その後何ら追跡調査をしていないことからすると、春日部税務署長が本件所有権移転登記が仮装の登記であることを知るには、優れた調査能力をほんの少々使用すれば足りた。

なお、担当職員稲葉は、居住用不動産を譲渡した場合の税法上の特別控除(三〇〇〇万円)の特例を受けるには、上告人自身が自主的に申告をする必要があり、税務署で更正処分をした場合にはこの特別控除が受けられないため、積極的な調査を控えたとする(稲葉証言一〇頁)。

しかし、そうであれば、右事実を上告人に説明し、自主的な申告を促すのが通常であるが、そのような行為を一切していない。

右からしても、ただ漫然と調査をしなかった事実が窺える。

虚偽表示であることの申告に加え、右のような事実があり、虚偽表示である可能性が極めて高いのにもかかわらず、ほんの少しの調査をしていないがために(調査能力も機会も十分あった)、本件所有権移転登記が仮装の登記であることを知ることができなかったものであり、春日部税務署長に重過失があるのは明らかである。

(二) 被上告人の重過失

春日部税務署長に重過失がある場合には、国にも重過失があり、したがって、被上告人にも重過失がある(前記第三、五参照)。

二 被上告人の過失

1 仮に、被上告人に悪意及び重過失があると言えないとしても、被上告人には、本件所有権移転登記が仮装の登記であることを知らなかったことにつき過失がある。

2 無過失の要否

外形を信頼した者を保護する表見法理にあっては、善意・無過失を要件とするのが一般であり、また、無過失を要件とするほうが、虚偽表示関係者と第三者との間の利益調整をきめ細やかにすることが可能であるから、民法九四条二項類推適用のためには、無過失まで要する。特に、類推適用の場合には、その適用範囲を拡大し、取引安全を図ろうとするものであるから、尚更である。

3 公権力と無過失の要否

前記第四、一、3記載のとおり、仮に一般私人に対し、民法九四条二項を類推適用する場合に、過失のないことまで要求されないとしても、公権力と私人の立場の違い、よりきめ細やかな利益調整等に鑑みると、特に公権力に対し同条項を類推適用する場合には、虚偽表示(外形)であることを知らなかったことにつき過失のないことが必要である。

4(一) 本件の春日部税務署長の認識及び行為からすれば(前記第四、一、4、(一))、春日部税務署長には過失がある。

(二) 春日部税務署長に過失がある場合には、国にも過失があり、したがって、被上告人にも過失がある(前記第三、五参照)。

以上

【参考】第一審(名古屋地裁 平成七年(行ウ)第二六号 平成八年一一月二二日判決)

主文

一 原告の請求を棄却する。

二 訴訟費用は、原告の負担とする

事実及び理由

第一請求

被告が平成五年八月二六日付けで別紙物件目録記載の不動産についてした差押処分を取り消す。

第二事案の概要

一 争いのない事実

1(一) 原告は、昭和三八年一〇月一八日、別紙物件目録記載(一)の土地(以下「本件土地」という。)をその所有者である関根秀雄から買い受けた。

(二) そして、原告は、昭和五四年三月二一日、本件土地上に同目録記載(二)の建物(以下「本件建物」という。)を新築し、その所有権を取得した。

2 しかし、本件土地建物については、平成四年一月八日受付で、平成三年一二月二八日の売買を原因として、原告から有限会社アーバン(その本店は、名古屋市西区にある。以下「アーバン」という。)に対して所有権移転登記(以下「本件所有権移転登記」という。)がなされた。

3 被告は、平成五年八月二六日、アーバンの滞納国税を徴収するため、アーバン所有名義であった本件土地建物につき差押処分(以下「本件差押処分」という。)をし、同年九月一日受付でその旨の登記を経た。

二 争点

1 原告の主張

(一) 本件所有権移転登記の登記原因となっている売買契約(以下「本件売買契約」という。)は、原告とアーバンが通謀し、本件土地建物をアーバンに売り渡したかのように仮装したものである。

(二) 原告の納税地を管轄する春日部税務署の担当職員は、平成五年四月二三日、本件土地建物の譲渡に係る原告の譲渡所得税の調査のため原告方(本件建物)を訪問した際、本件建物に原告及びその家族が居住し続けていることを確認した。原告の妻敬子は、その際、右担当職員に対し、「アーバンに所有名義を移転したのは、原告が手形の裏書をしたため、その債権者から差押えを受ける恐れがあるので、それを避けるために、仮装したものである。代金は、受け取っていない。一時的なもので、解決すれば、いずれ名義を回復する。」との説明をした。

また、同年五月上旬頃、原告の依頼した税理士が右担当職員に右の事情を重ねて説明した。

なお、その際、右税理士は、担当職員から、仮装売買であることを証する資料を提出するよう要求されてはいない。

したがって、被告は、本件売買契約が虚偽表示によるものであることを知っていたというべきである。

仮に、知らなかったとしても、そのことにつき、過失があるというべきである。

(三) よって、原告は、本件差押処分の取消しを求める。

2 被告の主張

(一) 本件売買契約は、虚偽表示によるものではない。

(二) 仮に、本件売買契約が虚偽表示によるものであったとしても、被告は、そのことを知らなかった。

(三) 春日部税務署は、被告と同じく国税庁の管轄下にある組織であり、その意味では、被告と類似する官署ではある。しかし、他の官署の職員の認識いかんを確認することは、実質的に、不可能であるから、他の官署の職員が悪意であれば、被告が悪意であったのと同視するのは、相当ではない。

また、春日部税務署の担当職員は、原告の依頼した税理士から譲渡の事実がない旨の説明は受けたが、その事実を証する書類の提示がなかったので、譲渡所得に係る課税を行うに足りるだけの証拠の収集ができず、本件土地建物の譲渡事実について調査を継続していたものである。

したがって、右担当職員が悪意であったとすることはできない。

第三争点に対する判断

一 〈証拠略〉によると、原告は、平成三年一一月七日、自己が裏書をした約束手形の債権者から本件土地建物を仮差押えされたことから、他の債権者からの差押えを避けるために、本件土地建物の登記名義を一時アーバンに移転しておくこととし、平成三年一二月二八日、アーバンとの間で売渡証書を作成することにより本件土地建物をアーバンに売り渡したように仮装した上、本件所有権移転登記の手続をしたことが認められる。

したがって、本件売買契約は、虚偽表示により無効というべきである。

なお、〈証拠略〉には、アーバンが原告に対し本件土地建物の代金として三〇〇〇万円を交付した旨記載されているが、同時に、当該金員の出所は明らかにできないとも記載されているので、右記載は、信用できず、〈証拠略〉に照らし、到底、採用できない。

二1 次に、〈証拠略〉によると、以下の事実が認められる。

(一) 原告が本件売買契約に係る譲渡所得について所得税の申告をしなかったことから、春日部税務署の担当職員は、平成五年四月二三日、調査のために本件土地建物に臨場したところ、本件建物には原告及び原告の妻敬子が居住していた。

そこで、担当職員は、妻敬子に対し、「平成四年中に本件土地建物を譲渡したことになっているが、譲渡所得税の申告がない。どうなっているのか、事情を聞かせて欲しい。」と述べたところ、妻敬子は、「本件土地建物を売ったことはない。本件建物には原告と敬子が居住している。原告は、仕事で京都に行っている。原告から、保証人になった関係で本件土地建物の名義を他人に変更した旨の話を聞いているが、詳しいことは分からない。」との説明をし、後日、原告から連絡をさせる旨申し出た。

そこで、担当職員は、連絡先を記載した名刺を敬子に交付した上、原告からの連絡を待つことにした。

(二) 原告の依頼を受けた税理士井関勝一は、平成五年四月下旬又は五月上旬、春日部税務署に電話をかけ、右担当職員に対し、「原告は多額の保証債務を負っていることから、債権者から本件土地建物について差押えを受けることを免れるために登記名義をアーバンに移転したものである。問題が解決すれば登記名義を原告に戻す予定である。」との説明をした。

しかし、担当職員は、電話による右の程度の説明では具体的事情が判明しなかったことから、井関税理士に対し、保証人となった際の書類、登記名義移転の際の書類等の関係書類を提出して、事情を明らかにするように求めた。

(三) しかし、原告は、本件差押処分がなされた時には、未だ右書類等を提出していなかった。

2 右に認定した事実からすると、春日部税務署の担当職員は、井関税理士から電話で説明を受けた時点においては、原告及びその妻敬子が売り渡したはずの本件建物に居住し続けていることを認識しており、また、妻敬子及び井関税理士から、本件売買契約は仮装したものである旨の説明を受けたことから、本件売買契約が虚偽表示によるものである可能性が相当あると認識すべき状況にあったものとは認められるが、敬子及び井関税理士の説明は、口頭でなされたものであり、しかも、具体的な資料を提示してなされたものではないから、それのみでは、客観的に見て、右担当職員において、本件売買契約が虚偽表示によるものであると判断すべき状況にあったとすることはできない。

そして、本件差押処分の時点(右電話による説明から約四箇月後)までに、春日部税務署の担当職員が、本件売買契約が虚偽表示によるものであると認識すべき資料を得ていたことを認めるに足りる証拠はない。

3 ところで、民法九四条二項の「善意」とは、虚偽表示であることを知らないことを意味するところ、虚偽表示ではないかとの疑いを抱いているにすぎず、虚偽表示であることを積極的に知っているとはいえない場合には、同項の「善意」に当たると解するのが相当である。

そうすると、右2において判示した事情の下では、春日部税務署の担当職員において、本件売買契約が虚偽表示によるものであることを知っていたとはいえないから、右担当職員は、本件売買契約が虚偽表示によるものであることについて、「善意」であったというべきである。

4 そして、〈証拠略〉によると、本件差押処分の際、被告及びその部下職員は、本件売買契約が虚偽表示によるものであることを知らなかったものと認められるから、被告は、本件売買契約が虚偽表示によるものであることについて「善意」であったことになる。

したがって、原告は、本件売買契約が虚偽表示により無効であることを被告に対抗できないことになる。

5 なお、原告は、春日部税務署の担当職員において本件売買契約が虚偽表示によるものであることを知らなかったとしても、そのことにつき過失がある旨主張するが、過失があっても善意である限り、当該第三者に虚偽表示をもって対抗することはできないから(民法九四条二項)、右主張は、失当である。

第四総括

よって、原告の請求は、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡久幸治 森義之 岩松浩之)

(別紙)

物件目録

(一) 埼玉県久喜市北一丁目五五六番二

宅地 三二七・一二平方メートル

(二) 埼玉県久喜市北一丁目五五六番地二所在 家屋番号五五六番二

木造瓦葺二階建居宅

一階 八八・一七平方メートル

二階 六〇・〇二平方メートル

【参考】第二審(名古屋高裁 平成八年(行コ)第三一号 平成九年四月二四日判決)

主文

一 本件控訴を棄却する。

二 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一 控訴人

1 原判決を取り消す。

2 被控訴人が平成五年八月二六日付けで原判決別紙物件目録記載の不動産についてした差押処分を取り消す。

3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二 被控訴人

主文と同旨

第二事案の概要

次のように、争点についての当審における控訴人の主張を付加するほか、原判決「事実及び理由」第二(事案の概要)に記載のとおりであるから、これを引用する。

(当審における控訴人の主張)

1 民法九四条二項の「善意」の意義について

(一) 第三者の取引の安全と静的安全との利益の調整からすると、民法九四条二項の「善意」とは、第三者に虚偽表示であるとの疑いを抱く程度の認識又は虚偽表示の当事者が虚偽表示であると主張していることの認識があれば、善意とはいえない(悪意である)というべきである。なぜなら、実際にそのような認識を備えれば、新たに取引関係に入ろうとする者は十分事前の対処が可能であり、そして、一般に右程度の認識を備えれば、新たな取引関係に至ることを躊躇する筈だからである。

(二) 本件において、春日部税務署の担当職員は、〈1〉敬子及び井関税理士から本件売買契約が仮装である旨の説明を受けていること、〈2〉通常売主は売買が終われば目的物を明け渡し、一定期間そこに住んでいるにしても、まもなく明け渡すことが普通であるのにもかかわらず、控訴人が本件建物に居住し続けていること、〈3〉当事者から登記が仮装である旨の申告がなされた場合において、真実の取引があることは殆どありえないこと、〈4〉名古屋市所在の会社が埼玉県所在の住宅を取得することはそれ自体通常の売買としては不自然であること等からすると、本件売買契約が虚偽表示であるとの疑いを抱くに十分な認識があり、したがって、春日部税務署の担当職員(ひいては春日部税務署長)は本件売買契約が虚偽表示であることについて、善意であったとはいえない。

(三) 春日部税務署長が本件売買契約が虚偽表示であることについて悪意であれば、名古屋国税局長である被控訴人も当然に悪意である。

本件訴訟は行政訴訟の形態をとったために、被控訴人を被告として提起されたに過ぎず、仮装の所有権移転登記の抹消登記承諾請求などの民事訴訟の形態をとれば国が被告となるものである。したがって、春日部税務署長が悪意であれば国が悪意になるのであり、その機関である名古屋国税局長も悪意というべきである。

少なくとも類似の官署相互間においては、認識を共通にしていると国民が期待することは合理的であり、この範囲においては国民の期待は保護されるべきで、本件の場合、春日部税務署も名古屋国税局も同じ国税庁管下の機関であり、国民が右のような期待を持ってしかるべき類似の官署であるといえる。

2 被控訴人の重過失について

(一) 仮に、被控訴人の右程度の認識では、虚偽表示につき悪意であるといえないとしても、少なくとも被控訴人には、本件売買契約が虚偽表示であることを知らなかったことに重大な過失がある。このように第三者に重過失がある場合にも、虚偽表示の当事者は、右第三者に対し、虚偽表示の無効を対抗することができる。

(二) 本件においては、前記1(二)記載の〈1〉ないし〈4〉の事情に加え、〈5〉敬子から虚偽表示である旨の申告を受けながら、担当職員は、特に資料の提出あるいは春日部税務署への来署の依頼等をすることなく帰った(この点について、原判決の認定には誤りがある)こと、〈6〉担当職員は、虚偽表示である旨聴取しながら、控訴人からの資料提出を待つだけで、その後何らの追跡調査をしていないこと、この点について、原審証人稲葉操は、居住用不動産を譲渡した場合の税法上の特別控除の特例を受けるためには、控訴人自身の自主的申告が必要であり、税務署で更正処分をした場合にはこの特別控除が受けられないため、積極的な調査を控えた旨証言(〈証拠略〉)するが、真実そうであれば、右事実を控訴人に説明し、自主的な申告を促すのが通常であろうが、そのような行為を一切していないことからすると、ただ漫然と調査をしなかった過失が窺えること、〈7〉税務署の調査能力が優れていることは公知の事実であり、たとえアーバンが名古屋市所在の会社であったとしても、その調査に支障を来すことはないこと等からすると、春日部税務署長に重過失があったことは明らかである。

(三) 春日部税務署長に重過失がある場合には、国にも重過失があり、したがって、名古屋国税局長である被控訴人にも重過失がある。

3 被控訴人の過失について

(一) 外形を信頼した者を保護する表見法理にあっては、善意・無過失を要件とするのが一般であり、第三者が民法九四条二項の適用により保護されるためには、明文の規定はないものの、無過失まで要するというべきである。

(二) 本件において、前記2の(二)記載の春日部税務署長の認識及び行為からすれば、同税務署長に過失があるというべきであり、同税務署長にも過失がある以上、国にも過失があり、したがって、被控訴人も無過失ではない。

第三証拠

証拠関係は、原審証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四当裁判所の判断

当裁判所も、本件売買契約は虚偽表示であり、控訴人からアーバンに対する本件土地建物の所有権移転登記は仮装の登記であるけれども、被控訴人は右虚偽表示の事実につき善意であったから、民法九四条二項の類推適用により、控訴人は虚偽表示による無効を被控訴人に対抗し得ないものと判断する。その理由は、次のように、原判決の説示について付加、訂正をし、当審における控訴人の主張に対する判断を付加するほか、原判決「事実及び理由」第三(争点に対する判断)記載のとおりであるから、これを引用する。

一 原判決の訂正等

1 原判決九頁一〇行目「妻敬子」から同一〇頁四行目末尾までを「妻敬子及び井関税理士から、本件売買契約は仮装したものである旨の説明を受けたものの、敬子及び井関税理士の説明はそれ自体具体的なものではなく、また具体的な資料を提示しないでなされたものであり、また、その際右担当職員において井関税理士に対し資料の提供を求めたにもかかわらず、その後本件差押処分の時点(右電話による井関税理士の説明から約四か月後)に至るまで、控訴人から何らの資料提供もなされなかったものである。そして、敬子及び井関税理士の説明は、控訴人に対する譲渡益課税のための調査の過程において、本件土地建物の譲渡がされたとの外形に対する反論ないし反証としてなされた対応であり、かつ、右担当職員の資料提供の求めにもかかわらず、その後資料の提供その他の対応が何らなされなかったのであるから、本件売買契約が仮装であるとの説明には大いに疑念を容れる余地があったということができる。そこで、これらの事情を併せ考慮すると、本件差押処分までの間において、右担当職員が、本件売買契約が虚偽表示によるものであると判断すべき状況にあったとはいえず、せいぜい本件売買契約が虚偽表示によるものである可能性ないしは疑いも一応ないわけではないと判断できる状況であったに過ぎないものというべきである。」に改める。

2 原判決一〇頁八行目から同一一頁二行目までを次のとおり改める。

「3 ところで、民法九四条二項の「善意」とは、虚偽表示であることを知らないことを意味するところ、虚偽表示である可能性や疑いが一応ないわけではないと判断しているに過ぎない場合には、知っているとはいえないから、このような認識の状態は同項の「善意」に当たると解するのが相当である。

そうすると、右2において判示した事情の下では、春日部税務署の担当職員においては、本件売買契約が虚偽表示によるものであることを知らなかったというべきであるから、右担当職員は、本件売買契約が虚偽表示によるものであることについて「善意」であったというべきである。」

二 当審における控訴人の主張について

1 控訴人の主張1について

控訴人は、外形を信頼して利害関係を持つに至った第三者の取引の安全と虚偽の外形を作出した者の静的安全との利益衡量から、虚偽表示であるとの疑いを抱く程度の認識又は虚偽表示の当事者が虚偽表示であると主張していることの認識があれば、善意とはいえないと主張する。

しかし、当事者が虚偽表示であると主張していることを認識しているだけで善意でないとされるとすれば、著しく第三者の保護に欠けるというべきであり、右見解は採用することができない。

したがって、当審における控訴人の主張1は理由がない。

2 控訴人の主張2、3について

控訴人は、民法九四条二項の保護を受けるためには、第三者において、重過失又は過失がないことが必要であると解すべきところ、春日部税務署の担当職員には重過失又は過失があったというべきであると主張する。

しかし、同項においては、明文上「善意」が要求されているのみで、重過失あるいは過失のないことまでは要求されていないし、また、確かに、表見法理においては一般的に善意・無過失を要求されるのが原則であり、民法九四条二項も表見法理の一種であると考えられるものの、この場合は、自分で外形を作った者が外形どおりの責任を負うべき場合であることを考慮すると、重過失あるいは過失のないことまでは要求されないものと解すべきである。

控訴人の右主張は採用することができない。

第五結論

以上によれば、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 水野祐一 岩田好二 山田貞夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例